いまここにいるんだね 

思うまま表現してみます。日々の文鳥達の様子は「文鳥たちとの暮らし」に書いてます。

これはぶんなのか?

f:id:imhfy:20220929225301p:image

初めての私の文鳥「ぶん」達

 

20年程前に当時の友だちから貰った白文鳥の姉妹

手乗りにするためのさしえから、ひとりで餌を食べられるようになるまで、育ててくれてから持って来てくれました。

飼ってる文鳥の雛が生まれたからもらってほしいと言われたのですが、鳥を飼うことなんて考えたこともなかったです。

 

教えてもらったように育てました。

今思うとテキトーでした。あまり手もお金もかけてなかったと思います。

仲良しで手がかからず健康で長く生きてくれた、とってもかわいい文鳥でした。

 

いい思い出ばかりだったから、何の心配もなく「文鳥たちとの暮らし」を始めたんだと思います。

ぶん達と出会ってなければ、ぶん達でなければ、今違う暮らしをしてたんじゃないかな

 

当時の私は何も分かってなかった

2羽の区別もついてなかった

名前がどちらも「ぶん」だなんて、今の私では考えられません

 

写真も動画(ビデオ)も撮ってなかったし、記録もないから、誕生日も年齢も何もわからない

 

奇跡的にガラケーに3枚写真があるだけ

 

文鳥がいたことは覚えてるし、いくつかの記憶もあるけど、顔も覚えてないのです。

写真を見て、こんな顔だったのかって

いつの写真かもわからないけど、1羽になってしまってるから年取った頃のものか

もう1羽のぶんの写真はないです。

 

記憶ってこんなあやふやなものなの

何度も写真を見たり、繰り返し思い出してなければ、忘れてしまうものなのか

ぶん達がいなくなって10年程過ぎてました。

「文鳥たちとの暮らし」を始めてから思い出すことが増えました。

 

今日「ぶんの絵を描こう」って思ったので、写真を見ながら描いてみたけど、「これがぶん?」そんな不思議な感じです。思い出せないのです。

 

記憶って、確かなものではないのか

しつこく掴んでおかなければ、あやふやな曖昧なものになってしまうのか

私は、くーの記憶を握りしめて苦しんでるのかもしれない

そんなことを考えたのは、ぶんの絵を描いたからかな