いまここにいるんだね 

思うまま表現してみます。日々の文鳥達の様子は「文鳥たちとの暮らし」に書いてます。

浦島太郎とメタバース⑩

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SNSは、小さな空間に同じ属性の人を閉じ込めて世界を作る

母集団が大きいから、自分と同じ意見、同じ趣味を持つ小集団を作ることが可能

 

これを読んで、これまで生きてきた世界とは違う世界に生きてるのだと思いました。

これまでの母集団って、

子どもの時は家族や親戚、近所の人

学校ではクラスや部活

結婚してからは相手の母集団がプラスされて、

そんな風に自分で選んでない小さな母集団の中で過ごしていたのか

 

そこでその時々の自分に合う人って?

難しすぎだよ

強い人に合わせるしかなかったか

そんな世界にいたのか

今気がついたかも

 

 

居場所を見つけ、認めてもらい、好きだと言ってもらう

そんな安心する瞬間を求めているが、現在は安心を獲得するコストが高いと

 

自由になった世界では、それぞれの考えてることが大きく違うから、褒めてもらうのが難しいし、

多様性の極まった社会ではコミニケーションのリスクが大きい

 

そこでSNSのフィルタリングか

設計されたグループの中に利用者を囲い込む(フィルターバブル)

 

フィルターバブルの中はパラダイスだから長い時間を過ごす

そこで広告を見せるのがSNSのビジネスだと

 

フィルターバブルの外には価値観の違う相手もいて、接触することで炎上も起きる

 

SNSは発展途上の技術で、もっと人から時間を奪える可能性がある

ここに巨大なビジネスチャンスがあり、それが、メタバースだと

 

SNSのように心地よい世界で、

風のそよぎや花の香りさえ楽しめ、そこでお金すら稼げるような世界なら、

ほとんどの人生をそこで過ごしてもよいと考える人は出てくるだろう

多くの人がメタバースに回収される未来が近づいている

 

ウェブやSNSは一時代を築いたが、次にインターネットを支配するのは、メタバースなのか

 

 

「浦島太郎とメタバース」のブログは、

 

岡島裕史さんの

メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」

 

という本を読みながら、文章をそのまま書き写しながらも、

自分の考えたことを書いてますから、岡島さんの言ってる意味とは違う取り方をしてる不安もあります。

変わり者の読書感想文だと思ってください。