2歳か
本当の家
魂の故郷であり、愛であり、全体
存在の帰る場所
そこはどこか遠くにあるのではなく
「いま」心の中に在り、全体へと広がっています。
こんな「奇跡のコース」のメッセージを目にしました。
今日は、くーの誕生日❤️
2年前の今日、生まれてきてくれたから、
来月、11月27日にくーと会えるんだね❤️
優しいお姉さんのぶん達と楽しく遊んでるかな😊
少し心が軽くなったのはなぜかな
https://stand.fm/episodes/633a755b96790a9b698cf787
幸せな気持ちで、朝目が覚めるようになって何日だろう?3日ぐらい?
そんな気持ちを「stand.fm」で話してみました。
苦しい過去の記憶を選んで忘れないようにしてたのかも
幸せを感じてた過去の記憶だってあるはずなのに
この写真は、キッシュに夢中なてつが、ケージに張りついて離れず歌ってたものかな
「あっちへ行って」と文句言ってるキッシュ
「何してるんだろう」と戸惑ってる幼いくー
そんな感じだったかな
みんなかわいいな❤️
そんな記憶を選ぶこともできるのか
ますます気持ちが軽くなってるのは、誰がやってるの?
絵のぶんが、リアルでルナと一緒にいるように見えるかな
そんなことを考えて作ってみました。
(..)あれは誰だろう…
どこかに行ってくれないかな
めいの場所なんだよ(..)ここは( `ー´)
「あっちへ行け!」って言えないよ( ´-`)
誰だろう?
ちょっと歌ってみようかな(^_^)
めいとルナは何考えてたかな?
今日も目が覚めた時、幸せな気持ちになってました。
四天王だけの時はいつもそんな感じだったと思うけど
くーとぶん達がいるんだと思って、幸せな気持ちでした。
その気持ちのままなら、
リアルのくーの記憶を考えても、苦しくならないことに気がつきました。
会えてよかったって思えました。
苦しすぎて、出会ったことがよかったのかわからなくなってましたけど
まだまだ様々な思いが出てくるけど、
くーが「いまもここにいる」
その世界を選んだ遊びをしていこうと思いました。
ぶん達のおかげだと思います。
ぶん達の絵を描こうと思ったのは、私の気持ちが軽くなるためだったんだね。
もしかして、苦しんでる私をなんとかしたくて、
くーがしてくれたこと?
メタバース効果かも
少し気持ちが変化したようです。
メタバースを知ることで何か感じて、気持ちが楽になるような気がしたのです。
本を読んでみたら面白くて、夢中でブログを書いてました。
ちょっとメタバースは休憩しようと思いました。
初めに思った目的には辿り着いてないけど、気持ちの変化があるのだから、メタバースに夢中になったおかげだと思うのです。
どんな意味があるかはわからなくても、ふと思ったことはすることにしてます。
また絵を描こうと思ったので描いてみました。
久しぶりに描けたから、満足できない絵でも満足
「ぶん」の絵を描こうという思いが出てきたのには戸惑いました。
顔を思い出せないのに?
いつのものかわからない写真が3枚残ってるけど…「こんな顔だったの?」って感じですし、姉妹のぶん達両方の写真はないし…
思いついたことなので描いてみたけど、似てるのかどうかもわからない
でも、やはり、意味があったのだと思いました。
「文鳥たちとの暮らし」は、ぶん達がいなければなかったと確信しました。
ぶん達の存在がありがたくて、
顔も思い出せない、写真や動画(ビデオ)もなく記録もないから、いくつかの記憶にあることしかわからない
健康で長く一緒にいてくれた優しくてきれいなぶん達
手がかからなかった(手をかけてなかった)
いい思い出しかないぶん達
ペットロスになんかならなかったよ
今朝起きた時、いつもなら「くーはいないのか」って沈んだ気持ちで、スタートするのに、
「くーもぶん達も、いまここにいるのか」って幸せを感じたんだよね
くーがいなくなって初めて
また色んな思いが出てくるけど、この幸せを感じる世界を選んで過ごしていこうって思えたんだよね
ぶんの絵を描いたことがきっかけなんだと思う
思いついたことは意味があるんだろうな
今の私ならもっと大切にすると思います。
文鳥のことは何も知らなかったよ
ぶん達のことは今でも愛してるのだと思います。
ぶん達からもらってるものの方が大きいけど
ぶん達にも会いたい
初めて思ったかも
10年たって、ぶん達からのバトンを受け取った四天王
わさび、キッシュ、ルナ、てつ
これはぶんなのか?
初めての私の文鳥「ぶん」達
20年程前に当時の友だちから貰った白文鳥の姉妹
手乗りにするためのさしえから、ひとりで餌を食べられるようになるまで、育ててくれてから持って来てくれました。
飼ってる文鳥の雛が生まれたからもらってほしいと言われたのですが、鳥を飼うことなんて考えたこともなかったです。
教えてもらったように育てました。
今思うとテキトーでした。あまり手もお金もかけてなかったと思います。
仲良しで手がかからず健康で長く生きてくれた、とってもかわいい文鳥でした。
いい思い出ばかりだったから、何の心配もなく「文鳥たちとの暮らし」を始めたんだと思います。
ぶん達と出会ってなければ、ぶん達でなければ、今違う暮らしをしてたんじゃないかな
当時の私は何も分かってなかった
2羽の区別もついてなかった
名前がどちらも「ぶん」だなんて、今の私では考えられません
写真も動画(ビデオ)も撮ってなかったし、記録もないから、誕生日も年齢も何もわからない
奇跡的にガラケーに3枚写真があるだけ
文鳥がいたことは覚えてるし、いくつかの記憶もあるけど、顔も覚えてないのです。
写真を見て、こんな顔だったのかって
いつの写真かもわからないけど、1羽になってしまってるから年取った頃のものか
もう1羽のぶんの写真はないです。
記憶ってこんなあやふやなものなの
何度も写真を見たり、繰り返し思い出してなければ、忘れてしまうものなのか
ぶん達がいなくなって10年程過ぎてました。
「文鳥たちとの暮らし」を始めてから思い出すことが増えました。
今日「ぶんの絵を描こう」って思ったので、写真を見ながら描いてみたけど、「これがぶん?」そんな不思議な感じです。思い出せないのです。
記憶って、確かなものではないのか
しつこく掴んでおかなければ、あやふやな曖昧なものになってしまうのか
私は、くーの記憶を握りしめて苦しんでるのかもしれない
そんなことを考えたのは、ぶんの絵を描いたからかな